はなしば事務員コラム

 
Column

法律事務所に勤めていたら、よく、「弁護士さんになるの?」と聞かれます。
いつも、笑顔で「いいえ。なりません」と答えます。

弁護士というのは、専門家。
事務員というのは、そのサポート役。

そう思っています。
医者に看護師や医療事務や、受付などの事務の方々がいるように、弁護士には、事務員がいるのです。

そんな、依頼者の方と弁護士との間にいる事務員だから見えること。
簡単に、簡単に、法律事務のことを、お知らせしていきたいと思います。
ときに違うこともお話しするかもしれません。

女は無能力者 ~ 朝ドラ「虎に翼」感想(R6.4.11)NEW!

4月から始まりました「虎に翼」


女性初の弁護士,女性初の判事,というとても先駆者の三淵嘉子さんをモデルにされている朝ドラでございます。

正直,こういう業界で働いてると,法曹物のドラマを見るのは若干気が重い。

やっぱり,現実とドラマの違いを考えたりしてしまいがちだからです。

しかし,朝ドラは時代も違うのだからとしっかり見始めました。(なんたって,私は伊藤沙莉のファンで,米津玄師のファンだから!)


のっけから,衝撃的な言葉が出てきました。

「結婚した女は無能力者である」

当時の民法はそうだったわけです。

結婚したら夫からみた妻は,「お前の物は俺の物,俺の物は俺の物だ!」という,アニメのいじめっ子だけの言葉と思っていたことは,事実だったわけです。

はて?

難しいものですね。

でも,これって,上手くいってたら気にならないわけです。

夫婦関係が円満で,夫がとても正しい人で,妻も正しい人の場合。

夫はきちんと働いて,稼いできて,妻を養って,妻は家を守る。

はい。問題ないと思います。

当時は,家の事にも時間がかかるから,外で働くのも大変でしたしね。

ただ,どこかでほころびが出た場合,妻の立場のあまりの弱さに唖然とします。


そして,これは今の時代も一緒なのだなと考えます。

もちろん,女は無能力者などという民法はなくなりました。

しかし,やはり女性の社会的地位の低さは未だに歴然としています。

そもそも平均給与が低い。そして,出産育児においては,どうしても女性に負担がかかってしまい,キャリアは断絶してしまいます。だって,妊娠,出産,育児の際の女性の身体の変化たるや,著しいし,コントロールが効かないから。

そして,それを男性が理解している場合はいい。

夫婦関係が円満で,夫がとても正しい人で,妻もそれを理解している場合。

問題ないです。お互いを助け合って生きていけると思う。

しかし,問題が生じた場合,離婚とかという話になった場合,今,法律が作られようとしている共同親権などの問題が出てくる。

これも,結局,いい人達の間であれば,共同親権だろうが,単独親権だろうが,うまくいくんだと思います。

だって,話し合えば良いから。


結局,法律というのは,人と人の間が,上手くいかなかった場合,理解し合えなくなった場合に出てくるものなのだと,改めて考えます。

それに備えての模範的な基準,それが法律なのだと思います。

でも,あくまで基準だから,それって結局解釈が必要になってくる。

本当に法律は難しい。

そして,法律が使われない世界が,一番良いのではないかと,改めて思ってしまう今日この頃です。

マルハラスメント。(R6.2.8)

初めて聞いたこの言葉。

ラインなどのSNSでは,

「承知しました。」

とか,最後が句点の「。」で終わってしまっている文章は怖いんですって。

なんかテンションが分からない。

怒ってるみたい。

と,とられるそうです。


とはいえ,絵文字(^_^)とか使うと,おじさん構文と揶揄されて,

ニコちゃんマークを3つも並べると,おばさん構文と揶揄される。

とかく,生きにくい世の中です。


しかし,「。」って,普通に最後につける記号,ですよね。


その言葉だけで,何か物事を決めつけたり,相手の意図を読み取ろうとしたり,

そういうことをせずに,前後の文脈を読んだり,普段からの関係性から相手のことを考えたりしていたら,そんな,マルハラスメント。なんて,言わなくて済むと思うんですけど,どうでしょうか。


ああ,そんな人のことを考えて慮るなんて,タイパが悪い?

それは大変失礼致しました「。」

「ケイジとミンジ」(R5.5.31)

これは知的財産権で訴えられますでしょうか。

似たタイトルのドラマが今やってますね。

さてさて。

最近は,一般の世の中の人にも「法律」が浸透してきましたね。

だから,テレビを見ながら「これって訴えられる?」とか,何か問題が起こったら「訴えてやる!」とか,ちょっとトラブルがあったら「訴えられたらどうしよう」とか,言う人が増えてきたように思います。

さて皆さん。

「訴える」のは,刑事ですか? 民事ですか?

刑事事件と民事事件があるのですが,これ,結構ごっちゃにしている人がいっぱい。

例えばAさんが,Bさんを殴りました。

「これって訴えられる?」

刑事事件的には,Bさんが被害届を出して,警察が捜査をして,裏付けも取れた場合,Aさんは送検されたりして,検察で起訴されるか,略式起訴されるか,不起訴になるか,とかが決まります。

「訴える」というのはどこのことでしょう。被害届を出す正当な理由はあるので,それを「訴える」というのであれば,訴えられます。

検察が起訴することが「訴える」ということであれば,そのケガの程度や,その前後の事情などなど,全部検討されて結論が出ますので,絶対できるとは言えません。

民事的には,Bさんはケガをしたから,その治療費とかをAさんに請求するということであれば,「訴える」ことができます。

じゃあ,それ以上の慰謝料とか,ケガをしたから仕事しにくかったから休業損害とか,そういうのを全部認められるのが「訴えられる」という意味であれば,絶対できるとは言えません。


BさんはAさんにどうなって欲しいんでしょう。

Bさんは,Aさんにお金を払って欲しい。というのであれば,民事的にお金を請求することはできます。「訴えられます」

Bさんは,Aさんに捕まって欲しいというのであれば,被害届は出せます。「訴えられます」。ただ,これ以上先は,ほとんどBさんは関与しません。捕まるか,起訴されるか,刑罰が与えれるか,これは最早,日本の国のルールに従うだけです。


「これって訴えられる?」

あなたは,どういう意味で言っていますか?

「2023年(令和5年),今年もよろしくお願い致します。」(R5.1.6)

年々,1年が経つのが速くなっている気がします。

聞きかじりの話では,体感の1年は自分の年齢を分母にした,○○分の1になるそうです。

と言うことは,10歳の子の1年のもう,何分の1にしか感じられないんだろうとか,少し残念に思ったりもします。(あえて,数字は伏せ字で)


ただ,それも,長く生きてきて,知っていることが増えてきた結果ということらしい。

おおよその経験があるため,その部分を除外した人生を「体感」できるということ。

ということは,経験していないことを始めたら,その「体感」時間は増えるのではないだろうかと,考えるに至り。


それならば,今年の「新しい」目標を考えよう。

そうすれば,今年の体感は,少なくとも去年くらいにはなるんじゃないか。

ともすれば,5年前,10年前くらいになればいいんじゃないか。


そんな,新しい今年を楽しみにしています。


皆様にとっても,良い,一年でありますように。

442年(R4.11.9)

昨日,空を見上げた人は多いのではないでしょうか。

皆既月食に惑星食が重なるという,とてもとてもレアケースでしたね。


皆既月食が1時間以上も続くなんていうのは,なかなか珍しいなと思っていたのに,さらにそこに天王星が月に食われるという,なんて珍しい。

残念ながら,望遠鏡などは備えておらず,肉眼でもそんな驚異的な視力は持ち合わせていないため,ウェザーニュースなどのライブ映像で惑星食も堪能させていただきました。

楽しかった!


しかしこれ,前に起こったのは442年前。

安土桃山時代だそうで。

織田信長とかが見たのかなあとか,ロマンティックなことを考えたりもしました。

次に起こるのは,322年後。

全く違う世界が地球上にはあるのだろうなあと考えると,それもまたロマンティック。


安土桃山の人たちは,良い(4)世(4)に(2)なるように,願ったのかなあ。

442年前だけに,なんて。


こんな,果てしもない宇宙レベルの出来事を思うと,

小さなことで悩んでるのもばかばかしく思ったりもしますが,

それでも,目の前のことからひとつひとつ片付けていくことが,

先々の未来(3)に(2)にっこり(2)するために必要なのかななんて,思います。

322年後なだけに,なんて。

(うまく落ちが付けられませんでした。)

有名になるということ(R4.8.30)

奈良が有名になってしまいました。

あの大事件です。


元から,神社仏閣などで有名ではありましたが。

大仏とか,鹿とか,吉野の桜とか。

あ,あと,せんとくんかな。

「いいところだけど,地味。」みたいなイメージがあったような気がするんです。

実際,いいところですよ。

人はさほど多くなく,自然もそこそこ多く,交通の便もそれなりに良くて,都会までもそこそこの時間で着くので便利だし,物価もほどほど押さえられているけれども,それなりにお店もある(ただし,大体早く閉まるけど)し,人もそんなに悪くない。

ちょっと地味ですが。


ところが,大事件が起こると印象が変わってしまいます。

「大和西大寺駅」なんて,全国の人が耳にすることになろうとは,全く思いもしませんでした。地元の人間からすると,乗り換えの基点となる駅なので,みんな良く知っている駅ではありますが,そこに何かあるわけではないので,全国的に有名になるはずもない駅でした。

(西大寺さんごめんなさい。西大寺だけは,大きなお椀での茶会で多分そこそこ全国区かなとは思います)


知られるというのは,いいことだけではないですよね。

バッシングと悪いイメージとが先行して,いいところすら,かき消されてしまう。

白いものに,少しの(今回は少しではないですが,それでも数からすると少しの)黒いものが混ざると,もう前の白には戻れない。

奈良のイメージは,しばらくは残念ながら,あの大事件が第一に上がるでしょう。

少なくとも国葬が終わって,報道が静まるまでは。

残念な気持ちが多々ありますが,こういうことは世の中の至る所で起こっているのだろうと思います。

小さいところでは身近な友人関係,人間関係の中で。

どうしても,小さな黒は,大きな白を圧倒してしまい,大きな白はなりを潜めなければなりません。それでも,いつか,白が勝つと,信じたいものです。


奈良は,それでも,いいところです。

地味だけど。

裁判のWEBシステム化についての一考察(R4.6.6)

ちょっと,論文チックなタイトルにしてみました。深い意味はありません。


コロナの影響もあって,裁判所のシステムも,一気にWEB化が進んでいます。

もちろん,良い側面もあるだろうと思います。

迅速化するとか,簡略化するとか。期日の調整がスムースにいくとか。


ただ,裁判に至る人たちの中に,「相手の本心を知りたい」という気持ちがとても強い人は,結構な割合でいます。

もちろん,今までの裁判でも,代理人がつけば相手方が出てくることも少なかったりします。

裁判の席で,ドラマのように主張を交えることもほとんどありません。

それが,リモートでされているだけだと考えるならば,実質はかわらないと言えます。


WEBシステムでも,リモートでも,なんでも,裁判を簡素化することに,意味があるのかという根本的な問題に立ち返ってしまうのですが。

「知りたい」という欲求には,利便性というシステムは,相性がすこぶる悪いと思うわけです。

「知りたい」のに,なんかネットで喋ってるだけで話が進んじゃった。

「知りたい」のに,なんか単純化された書面だけで終わっちゃった。

「知りたい」のに,裁判所にほとんど出て来なかった。(実は,これは変わらないですが)


「知りたい」ときに必要なのは,余白部分であることが多いと私は思います。

「知りたい」ときに必要なのは,無駄な部分であることが多いと私は思います。

余白であり,無駄な部分があることがわかることによって,「知りたい」ことが真ん中にあることを知るのだと思うのです。


裁判所も,弁護士も,検察官も,プロですから。

無駄がどこか知っています。余白がどこか知っています。

だからそれを省いた,WEBシステムなどを作り上げることが出来ます。

だけど,それを「知らない」人は,なんだか不安になるのだろうなと,思うのです。


人の心を包む紙が裁判手続であるならば,余白がない紙では包みきれないのではないでしょうか。

ちょっとゆとりのある風呂敷とか,そんな感じが良いなと考えるこの頃です。

未成年者と,それに対する大人の責任。№2(R4.2.25)

と言うわけで,前回の続き。

というほど,続きじゃありません。

発想の飛躍,みたいなものです。


今年の4月から,日本でもとうとう18歳から成人になります。

なんか,「で?」って感じです。

もう,私は成人してますしね。関係ないですよね。


ただ。

こういった仕事上「なんだかな??」と思うことが,養育費。

様々な事情があって,離婚に至ったご夫婦。

養育費を定めますが,本人達の合意が無い場合,裁判所が決めることになります。

その場合,「未成年者が成人に達する月まで」って言うのが基本です。

と言うことは今までは,20歳まで。これからは,18歳まで。

これっていいの??

世の中,大学に行く子ども達が多い世の中。

子どもは成人になるから,親はもう知らんってことなんでしょうか?

司法も,成人は自分で身を守れってことで,もう知らんってことなんでしょうか?


みんながいい人なら,そのときが来たら,子ども達の進学状況に応じて,学費を払いますよ,一人暮らしをするのであれば生活費を援助しますよってことになります。

留学費用や自立費用,結婚資金まで出したりもします。

みんながいい人なら。

ここで,めでたしめでたし。


ただ,残念ながら,人間いい人ばかりじゃありません。

そういう人に対するのが,司法であると思うのですが・・・

この養育費問題は今後どうなっていくのでしょうか?


未成年者,ひいては子ども達に対する,大人の責任ってなんでしょうか?

大人の一員として,考えていきたい問題のひとつです。

皆さんはどうですか?


未成年者と,それに対する大人の責任。(R4.2.18)

随分久しぶりになってしまいました。

継続というのは難しいものです。努力し続けるアスリートの人たちには尊敬の念しかありません。


さて。

巷では冬期オリンピックで大賑わい。私も毎日テレビの前で一喜一憂しております。

そして,ドーピング問題で違った意味で大盛り上がりですね。

オリンピックは本来ドーピング陽性が出ると,即,出場停止になります。今回も,残念ながらウクライナの選手もそういう人がいましたね。

で,今回,私は初めて見ました。ドーピング陽性が出たのに,出場した選手。

未成年者(実際には16歳以下の要保護者)だからという理由で,本人に大きな責任をとらせることは,良くないとスポーツ仲裁裁判所が出場を認める判断をしたんですね。

というわけで,彼女は出場しました。

でも,オリンピック委員会としては,それに対する対策として,彼女を出場させる代わりに,彼女の順位は暫定として,それ以下の順位は全て暫定となっています。

だから,団体競技において彼女が所属するチームが金メダルを取ったため,メダル授与式は行われていません。(なんたることか。出場選手の努力をどう考えるのでしょう)

個人競技では,彼女が4位になったため,メダル授与式は行われました。(おめでとうございます)


この問題。

彼女は,今,全世界からの批判・誹謗・中傷,そして,擁護・憐憫の対象になっています。

彼女が実際に,自ら,ドーピングを行ったかどうかは分かりません。

おそらく,15歳という年齢と,完全管理された育成状況から考えると,本人の意思とはなかなか考えにくいと個人的には思います。

でも,今回の問題は全部,彼女が全てを引き受ける環境下になってしまっています。


未成年者(要保護者)を保護するというのは,今のような環境にしないことであったはずと,私は思います。

要保護者であるなら,その保護すべきであった人が,彼女を守る盾として,全世界からの批判・誹謗・中傷,そして,擁護・憐憫の対象にならなければなりません。


そして,何より,ドーピングという,身体に対する影響をからも守ってあげて欲しかったと心から思います。

それが,大人の責任なのではないでしょうか。

彼女の今後の,心身の健康を心からお祈りいたします。


と,これと,日本における成人の年齢引き下げについて,絡めようかと思ったのですが・・・ちょっと長くなりすぎたので,また今度。

予想はあくまで予想であって(R3.4.5)

間違いました。

前回のコラムの同性婚違憲判決,確定するという予想は見事覆されました。

控訴しましたね。

 

判決当日に官房長官が「婚姻に関する民法の規定が憲法に反するものとは考えていない」とか言ってらっしゃいましたしね。

法整備を求めるために,最高裁判決を手に入れに行ったんでしょう,きっと。

長い戦いになるし,いろんな批判もあるだろうし,人生をかけて道を作りにいったのでしょうね。

頑張って頂きたいと思います。

色々な壁(R3.3.18)

以前,「バカの壁」ってベストセラーになりましたね。

世の中,色々な壁があって。

その中の一つの壁は,同性婚の問題だったりします。

いわゆるLGBTQってやつです。


昨日速報で同性婚が出来ないのは違憲であるという判決が出ました。

「画期的」な判決と話題です。

これ,民事の損害賠償請求なんですよね。

100万円請求している。

判決は,「棄却」なわけです。

原告の訴えは認められなかったというのが主文。

だがしかし,判決の理由のなかで,同性婚が認められていないのは違憲状態であると言われているわけです。


これ,ここで確定しちゃいます。多分。(ただの私見です。2週間以内に分かります)

原告の方々は,おそらく違憲と認められたわけだから,満足。控訴はしません。

被告の国からすると,損害賠償は認められなかったわけだから,どんなに理由に納得できなくとも,控訴はできません。

すごーく,宙に浮いた状態な気がするんですよねえ。

これが出たことで,議論が進んで,同性婚の法整備だとか,全国規模のパートナーシップ制度だとか,そこに進めばよいのですが。

言ってしまえば,たかが地裁の判決ひとつなので。

最高裁の判断とかだと,世の中も動きやすいというか。

人は権威のあるものに弱いものなので。

こういうところに,やっぱり「壁」が存在していると思ってしまう。

今日この頃なのでした。

相続は争族だとか言うけれど(R3.1.28)

「うちは大丈夫。」

世の中の多くの人はそう思っているようで。

でも,だったら「争族」なんて言葉,生まれたりしないんです。


よくある言い分としては

「そんなにお金ないし」とか,

「家族仲いいし」とか,

「みんなわかってくれるでしょ」とか。

基本的に性善説に基づいた理念の元で大丈夫という理屈になるようです。


だがしかし,です。

そんなに無くても,お金はお金。

貧している人は,100万でも10万でも,多く欲しいものなのです。


そして,思いもがけないところに家族が現れたり。

例えば,隠し子。

例えば,行方不明の親。

例えば,縁を切られた不出来な兄貴。

家族としてはもういないものとして,後の家族が仲がいいと思っていても,

相続の時は,残念ながらいることになってしまうのです。


それから,家族が仲がいいのは,その人がいてくれるからってことが往々にしてあるもので。

お母さんがいる間は家族がまとまっていたり。

お父さんがいる間は家族がまとまっていたり。

ってこともあります。


最後にあるのは,思い込みの相続と,法律の相続が違うこと。

知らないから,仕方ない。

っていう風には,法治国家はならないので。

ちょっと気に掛かる場合は,一度相談してみるもの,一助になるかも。

相続が始まってからでは遅いのです。争族が始まってしまいます。

心の片隅に留めて置いてみてください。

現代版「王様の耳はロバの耳」(R2.10.14)NEW!

懐かしい童話です。

最近,ふと思い出しました。


王様の耳がロバの耳であることに気づいた主人公(理髪師だったかな?)が,

言いたくて言いたくて仕方ないけど,言えない。

だから,葦に向かって叫んだ。

「王様の耳はロバの耳!」

ここなら人には知られない。

黙っていられると思った。

でも,その葦は,いろんな人にその言葉を言いふらし始めて,みんなが知るところとなってしまう。

王様は怒って言いふらした人間を殺してしまおうとする。

みたいなお話。


あ,これ,SNSだ。

と思ったわけですね。

主人公は,「葦」をただのゴミ箱だと思ってたわけですね。

誰にも聞こえない。誰も知ることはない。

世の中のごみくずと一緒に消えて行ってしまう。

でも,その「葦」は実は世界中と繋がっていた。

その言葉は,全て世界中の人が見て聞くことが出来てしまう。


実際に,SNSでつぶやいた言葉なんて,誰も知らずに埋もれてしまうことが大多数で。

ほとんどは,意味のない,役にも立たない,気づいてもらえない言葉たち。

でも,時にそれは世界に繋がってしまって,人の生死にまで繋がってしまう。


世界中に繋がって,一度発したら消すことが出来ない。

そんな怖い世界,少し前までは特別なものでした。

でも,誰もが手に入れられる。

これってすごく怖いことだなと,改めて思った今日この頃です。

問題は不倫ではない!(R2.6.12)

とある不倫が巷を賑わせている今日この頃。

(この出だし、前にも書いた覚えがある・・・私、不倫ネタ好きなのかしら)


さて。

不倫については、当事者に任せるとして。

私は個人的に、多目的トイレの悪用が一番許せない点です。

(実際にどうかは知らないけど、当事者の片方が、そこで密会したと言っている以上、半ば事実と判断して)

多目的トイレは、どうしても必要な人がいるものです。

もし、使えなかったら、他の階に行くのもなかなかに大変な人たちもいる。

それを、そんな安上がりを求めてっていうのはいかがかと。

そんじょそこらの若者じゃないんだし。

お金持ってんだし。ホテルでもなんでも行きなさい。

と、思った次第です。


この方の問題は、不倫では無くて。

簡単に言えば、「誠意」が無いってことで。

自分の欲望のためだけに生きてて、妻はもちろん、他の女性に対しても、そして、世の中の人に対しても、思いを馳せることができないということ。

誰かが傷つくことや、誰かが悩むことや、誰かが困ること。

そういうことを考えられないこと。


不倫は問題。

だけど、それは当事者の問題。


世の中のから見る問題は、不倫は無くて。

そういう適正な生き方の方ではなかろうか。


と、人の振り見て我が振り直せというので、

適正な生き方、改めて考え直したいと思う今日この頃でした。

井の中の蛙大海を知らず。されど・・・(R2.4.23)

自粛が続いている世の中。

家の中に閉じこもっていると、外のことがわからなくなっていく気がします。

外を覗くことができる、テレビもネットも、今は同じことしか言っていない。

だから、そんなときに思い起こされるのが

「井の中の蛙、大海を知らず」

ということわざ。

狭くて閉じた世界の中で、広い世界を知らない状態にいて、取り残されていく感覚。

実は自分だけがここにいて、周りは大きく変わっていっているんじゃないか。

なんて。


昔からよくあった状況で。

誰しも陥りやすい落とし穴だったんだろうと想像します。


で、そこに付け加えられたのが「されど、空の蒼さを知る」

狭い世界にいるからこそ、その世界の深いところや細かいところをよく知っているという意味だといいます。

これって、実は中国から渡ってきた元々の言葉に、日本で付け加えられたそう。

私はこの付け加えられた部分が好きで、よく使います。


今のご時世、世界は広く、深く、速く、人一人の力ではすべてを知るには大きすぎる。

だからこそ、今いる場所で、その深さ、その蒼さを知ることができたなら、人生素敵なのではないかと思うのです。


動くことができない現在だからこそ。

その、「空の蒼さを知る」ことに心と時間を費やしても良い時期なのではないでしょうか。

人は自分と同じじゃない(R2.3.3)

今,世の中は新型肺炎やら,コロナウイルスやらで大騒ぎですね。

こんなとき,世論はなんだか同じ方向に向かって動き出す気がします。


全てが自粛に向かって動き出し,何か発言する人や,何か動こうとする人をこぞって叩く。


今回の場合,小中高を全て休校にすることや,極力休業にすることや,イベントの中止を要請することや,外出を控えてもらうこと,間違ってないと思います。

別に間違ってはいないけど,それに対して反論すること(時にはその後の話や仮定の話について)をすると,途端に非国民的な扱いになってしまう。


とにかく押さえ込むこと。

そればかりを考えている気がします。

それはウイルスをではなく,それに対して意見を言う人のことを。


何かを考えることは悪いことではない。

それが,間違っていても良いことでも。

いろんな意見が出るからこそ,何か次に進むことができると思うのです。


人が考えることは自分と同じということはあり得ない。

だからこそ,何か違う意見が出たときは,

それを押さえ込むのではなく。全否定するのではなく。

なぜそれが違うと思うのか。

なぜそれが今ではないと思うのか。

ただ,それを語り合い,いつかこの先の未来を見つめることができないだろうか。

と,思うこの頃なのです。


何かの災厄がふりかかるとき,長い目で見たときの最善手ではないかと思うのです。

増税と軽減税率と、難解と混乱と。(R1.9.20) 

皆様ご存じのとおり、来る101日から消費税が8%から10%に増税されます。

ややこしい軽減税率の話も、残念ながら法律事務所には関係なく、

依頼される方へのご負担を増やしてしまうことは心苦しいところです。

ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。


さて。

増税に対しての対応策として、色々と言われておりますね。

まずは軽減税率。

主に対象品は、食料品と新聞という摩訶不思議な内容で。

ニュースやワイドショーでも話題に挙げられていることではありますが、

持ち帰りと外食とのちがいとか。

みりんや料理酒は10%だけど、ノンアルコールビールは8%とか。

医薬品は10%だけど、健康食品は8%とか。

定期購読の新聞は8%だけど、店で買う新聞とか書籍は10%だとか。

軽減税率は何のために行われて、誰を助けたいのかという基本的なところはどこへ行ったんだろうという内容。


次に、プレミアム商品券。

収入が少ない人に2万円で25千円の商品券を売るということらしい。

本当に困った人がその場の2万円で他の何かを買わずに商品券を買うのかということ。


そして、キャッシュレス決済のポイント還元。

悠々自適にキャッシュレス使える人にだけ、その還元がなされることになるということ。


一番困っている人が受け取りやすい方法はないのだろうか?

一般の人がわかりやすい方法はないのだろうか?


法律も政治も税務も年金も、なんでもかんでも難しくてややこしい。

誰かが思い切って単純化したら、世の中もっと生きやすくなるような気もする。

抜け穴とか考える暇がないくらい、簡単で美しい制度、誰か考えてはくれないものだろうか。


と、最近、つらつら考えてしまうのです。

こういうの、AIが得意そう、とか。

知らないことの責任(R1.6.24)

例えば還付金。

手続きをしないと返ってこないお金があります。

例えば補助金

手続きをしないともらえないお金があります。

そんな手続きを知らずに何も手続きしないまま、しばらく時間が過ぎ去ります。

すると、時効を迎え、もう何をしてももらえないお金になってしまいます。

その後で、怒ります。

そんな手続き知らなかった!何で教えてくれなかったんだ!

どこどこの書面のこの片隅に小さく書いてありましたよと言われます。

そんなのわかるか!その都度、はっきりと教えてくれないとわかるわけがない!

と、さらに怒ります。

けれど、もうどうしようもありません。

知らないことの責任はその人が負うしかないのです。

(ごくたまーに、世論が巻き起こったときにどうにかできることがありますが)


仕事をしている上で、自分が何かをしなかったこと、間違ったことをしてしまったことに対してよく出会う言い訳は次のようなものです。

「私は素人だから」

「法律なんて勉強したことないし」

「難しくてわからない」


もちろん、気持ちはわかります。

ものすごくわかります。

でも、法治国家って非情なもので。

知らないこと、わからないことの責任は全部負うことになってしいます。

そして相談に来られたとき。

これ、もっと早く相談に来てくれていたらよかったんですけどね。と、弁護士がお答えすることがままあります。

それに対してよく言われるのが、

「そんなの、わからなかったから」

「どこに相談したら良いかわからないから」

「こんなことで相談したらいけないと思って」


わかります。でも、知らない責任はやっぱり自分に返ってきてしまうんです。